選択的スプライシングでタンパク質の構造と機能はどのように改変されるのか?
2001年にヒトゲノムのドラフト配列が発表されました。ヒトの全塩基配列(=ゲノム)がわかると、ヒトが何個の遺伝子を持っていて、何個のタンパク質からでき上がっているかがわかるはずです。ヒトゲノムが読み取られる前から、ヒトの遺伝子数を予測する研究がなされていました。それらの結果はだいたい10万ぐらいとなっていました。細胞内に存在する転写産物を同定し、一部分から全体を推定した結果です。ヒトゲノム塩基配列から、コンピュータを使って遺伝子の数を推定したところ、想定よりもずっと少なく2万5千個前後、ひょっとするとそれよりも少ないかもしれないことがわかってきました。コンピュータを使っての推定なので、ひょっとすると間違えているかもしれないと当初は考えられていましたが、いろいろな方法で推定しても、だいたい同じ数になりました。10万と2万。この差はどうして生じたのでしょうか?どこかに間違いがあるのでしょうか?
どうやら間違いはどこにもないようです。1個の遺伝子からたくさんの転写産物を生み出すことができれば、この差を埋めることができます。そして実際に、ヒトの遺伝子の90%以上が複数の転写産物を生み出していることがわかってきました。ひとつの遺伝子から、異なる転写産物を複数個生み出すしくみを、選択的スプライシングとよびます。ヒトを含む真核生物では、ひとつの遺伝子が一続きではなく、イントロンによって分断されています。タンパク質の合成に関与する部分(おもに翻訳される部分)はエクソンとよばれ、転写産物であるRNAからイントロンが取り除かれて、タンパク質に翻訳できるRNAができます。この時にエクソンがイントロンと認識されて取り除かれると、少し異なったタンパク質に翻訳できるRNAができます。これが選択的スプライシングです。選択的スプライシングは昔から知られていた現象ですが、こんなにも頻繁に起こっているとは誰も想像していませんでした。
それでは、選択的スプライシングによってひとつの遺伝子から少しだけ異なるタンパク質が作られるわけですが、そのタンパク質の形や働きはどのように異なっているのでしょうか?選択的スプライシングの研究はこれまでRNAレベルでよく行われてきましたが、タンパク質の形や機能に関しては、これからの仕事です。そこで、郷通子先生を中心とする由良研もメンバーの一員になっているグループで、選択的スプライシングの結果作られる少し違った一連のタンパク質の立体構造を予測し、その機能を推定するプロジェクトを開始しました。研究を始めた頃は、ひとつの遺伝子由来の少し異なるタンパク質は、少しずつかたちが違っており、その結果少しずつ機能が異なるのだろうと予想していました。
研究を始めると驚くべきことがわかってきました。ヒトの選択的スプライシング産物のうち、65%はタンパク質らしいかたちを取ることができないことがわかってきました。RNAからタンパク質に翻訳されても、定まった立体構造を形成することができそうもないのです。タンパク質は形を形成して初めて機能しますので、このことは選択的スプライシング産物の半分以上は機能しないことを意味しています。選択的スプライシングの産物がタンパク質の機能の多様性を生み出すことが期待されていましたが、そうではない場合が半分以上であることを意味します。本当でしょうか?この結果に対しては、他の研究者からもいろいろと意見が出されており、これからの更なる研究で実態が明らかになって行くはずです。
35%程度の選択的スプライシングでは、ちょっと異なるタンパク質がちゃんと作られ、何らかの生物学的な働きをしています。選択的スプライシングによる変化がタンパク質の機能にどのような変化をもたらしているのかも、簡単にわかることではない様子です。上図の場合は、赤い部分が選択的スプライシングによって失われます。ただこの部分はタンパク質の機能部位から遠く、この部分が失われることがどういう意味を持っているのかは簡単にはわかりません。我々のグループは赤い部分が、このタンパク質の相互作用を調整するのだろうと考えています。選択的スプライシングのタンパク質の形への影響と機能への影響の研究は、まだまだこれからです。